音楽には二種類のリズムが内在する
近藤 譲
1947年東京生まれ。東京藝術大学音学部作曲科卒業。現代音楽作曲家、音楽評論家。1970年代初頭に独自の作曲方法論「線の音楽」を提唱し、以後国際的に活躍。ほぼ全曲の楽譜がイギリスのUYMPから出版されている。国内外の多くの大学で教鞭をとり、講演を行う。作曲作品は、オペラ《羽衣》を始めとして170曲以上。CD録音も多い。著書に『ものがたり西洋音楽史』(岩波ジュニア新書 2019)、『聴く人(homo audiens)』(アルテスパブリッシング 2014)、『線の音楽』(復刻版 アルテスパブリッシング 2013、朝日出版社 1979)他。
音楽というのはやっぱり人間にとっての、何か非常に本質的な役割をもっている。
それを軽い言葉で言えば、「人間の気分をそういうふうにつくる」と言ってもいいわけですけれども、
音楽を聴いて生きる力をもらう人も当然いるわけです。
それは、単にその音楽の表現内容から生きる力をもらうだけではなくて、
リズム付けられた音の体験を得ることによって、
そういう気分に調律されることもあるのでしょう。
日本のリズム……身体の深層にあるもの
樋口桂子
名古屋大学文学部卒業。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程満期退学。専門は美学。東京藝術大学常勤助手、大東文化大学国際関係学部助教授を経て2020年3月まで同教授。大東文化大学名誉教授。著書に『おしゃべりと嘘』(青土社、2020)、『日本人とリズム感:「拍」をめぐる日本文化論』(青土社、2017)、『イソップのレトリック』(勁草書房、1995)他。
おのおのの文化に固有のおのおののリズム感は人の身体に深くしみこんでいて、
日常生活における無意識の動作や仕草、声の出し方など、
ふとしたところで顔を出してきます。
日常生活のみならず、さまざまな領域の表現形式に表れます。
つまり音楽、舞踏や、韻律のある詩歌に、
また絵画や彫刻、デザイン、装飾や建築などの造形表現のなかに文化のリズム感は表れ出てきます。
液体のリズム、新しい始まりの絶えざる反復としての
河野哲也
1963年東京生まれ。立教大学文学部教育学科教授。博士(哲学)。専門は、哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学・おとな哲学アーダコーダ」副代表理事。著書に『間合い:生態学的現象学の探究』(東京大学出版会 2022)、『人は語り続けるとき、考えていない:対話と思考の哲学』(岩波書店 2019)、『境界の現象学:始原の海から液体の存在論へ』(筑摩選書 2014)他。
リズムを語ることは、まさにメディウムを語ることだと思います。
西洋の古典的な質料形相論では「形相」のみが大切で、
何か抽象的な形相としての「情報そのもの」があって、
それが何かのメディウム(質料)によって運ばれると考えますが、
それは間違いだと思います。
私自身はメディウムが震えて、それがリズムをもって情報となっているんだ、と考えたい。
リズム、その複雑で多彩な世界
音楽がリズムを召喚する
今から24年前、1本の映画が公開されました。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、キューバの伝説的ミュージシャンたちにスポットを当てた音楽ドキュメンタリー。ギタリストのライ・クーダーと「パリ、テキサス」の監督ヴィム・ヴェンダースがタッグを組んだことが話題を呼び、大ヒットを記録。翌年日本でも公開され、2001年には、出演者が来日し、東京国際フォーラムを満員にしました。ラテン音楽の熱心なファンというわけではなかったものの、これがきっかけで、キューバ音楽の魅力に取り憑かれた筆者は、カリブ海を中心とする中南米音楽にみごとにハマったのです。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」では、ルンバやその原型であるソン、ハバネラ、マンボなどが披露され、キューバ音楽は一挙に世界中で聴かれるようになりました。もっとも、キューバ音楽の世界的流行は、これが初めてではなく、30年代にはルンバが、50年代にはマンボやチャチャチャが、また60年代から80年代にかけては、サルサが大流行しました。とくに、サルサは、ニューヨーク在住のプエルトリカンによって、クラブミュージックのシーンを形成するまでに大きな盛りあがりを見せました。
キューバ音楽をルーツとするさまざまな音楽が何度も世界的に流行したのはなぜでしょうか。確かにトロピカルでエキゾティックなその音色は、聴き手を虜にするだけの魅力をもっています。しかし、それだけではありません。「多くの人々の血を騒がせるにたる音楽的な構造やリズムのエッセンスが隠されているからに他ならない」からです⑴ 。
15世紀に始まるスペインによる植民地化に向けた侵略とアフリカからの大量の奴隷の流入によって、キューバでは音楽を含むさまざまな文化が融合していきます。その融合の中心となったのはスペインに代表されるヨーロッパ的な要素とアフリカ的な要素です。この二つの要素が、どちらが優位というのではなく相互に混ざり合うことで、キューバ独自の音楽とリズムを形成していったのです。そしてその融合は、キューバ国内に広がるにとどまることなく、他国にも拡散していきました。
こんなエピソードがあります。19世紀半ば、ハバナに滞在したスペイン人作曲家セバスチャン・イラディエルが、当時この地で流行していた「アバネーラ(ハバネラ)」という飛び跳ねるような二拍子のリズムを取り入れて、帰国後に作曲した「ラ・パロマ」が評判を呼び、ヨーロッパを中心に大流行しました。さらにアバネーラのリズムは、イタリアのナポリ民謡、アルゼンチン・タンゴ、アメリカでは「セントルイス・ブルース」などにも影響を与えたばかりではなく、タンゴ経由で日本の「別れの一本杉」(春日八郎)や「湯の町エレジー」(近江俊郎)などの歌謡曲にまでその影を落としているというのです⑴ 。当時これらの楽曲を聴いた人たちは、この元歌がキューバ音楽だとは思ってもみなかったことでしょう。もとをただせば、キューバ産のリズムだったわけで、キューバという音楽大国の懐の深さを感じさせるエピソードです。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、単にキューバ音楽だけでなく、音楽は世界中のいたるところにあることをあらためて知らしめました。人間の住むところそれぞれにさまざまなスタイルの音楽があり、そのそれぞれには必ずといっていいほどユニークなリズムが随伴します。
映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」が公開される二○年ほど前から、ポピュラーミュージックの世界ではワールドミュージックが注目されていました。いわゆる「世界音楽」で、主に英語圏中心に席巻していたポピュラーミュージックの世界に非英語圏の音楽が乗り込んできたのです。これまで私たちにとって馴染みの薄かった異国の音楽、アフリカの音楽やアジアの音楽、イスラム圏の音楽や東欧諸国の音楽――もちろん雅楽などの邦楽も――が、気軽に誰でもが聴いて楽しむことができるようになったのです。「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」の成功は、ポピュラーミュージックの世界におけるワールドミュージックの台頭という文脈から捉えることで、その意味は明確になります。ポピュラーミュージックにとって、いや音楽自体にとって、リズムがいかに重要な要素であるかを認識させる契機となったのです。
リズムのもつ正反対の効果
「人間にとって、リズムというものほど広く感じとられる現象は少ないのではないだろうか。文明が違っても、年齢や性別や個性が違っても、〈リズム〉と聞いて、それなりのイメージを抱けないひとはいないはずである」。哲学者で劇作家の山崎正和氏はこう言って、次のように続けます。「人がリズムと聞いて思い浮かべる現象は、見渡せば世界のすみずみにまで満ち満ちている。水面に石を落とせば輪のような波がリズミカルに広がるし、(…)身体そのものも不随意的にリズムを刻んでおり、心拍や呼吸などの場合はそのリズムを随意的に大きくすることもできる。天空を仰げば、月は盈ち虧けを繰り返していて、注意深く観察すれば、星の運動も脈動する秩序を感じさせる」⑵というのです。
このリズムの感受性は、地域も歴史も超えて人類に共有されていて、むしろ文字をもたない先史的な文明の方が、リズムの感受性を高度に発達させているといえるかもしれません。たとえば、太鼓の多様な拍節で信号を送り、縄の結び目の長短によって意味を伝えたとされる先史人は、近代人より繊細なリズム感をもっていた可能性は高く、宗教儀礼や社交の娯楽を見ても、近代人よりも先史人の方が、舞いのリズムをより重視しているようにみえます⑵ 。
このことは個人の成長過程にもあてはまりそうです。リズムは、成人にも、言葉や文字を知らない幼児にも共通して理解できるものですが、興味深いのは、それに対する反応です。年齢とは無関係に、成人も幼児も同じような反応をするのです。たとえば、泣いている乳児を一定のリズムで揺すると笑いを取り戻します。また、別のリズムで揺すると静かに寝入ることは、経験的にも知られていることです。成人も同様で、行進曲のリズムに活力を鼓舞されますが、たとえば電車に乗っている時、同じ振動が連続すると、つい居眠りをしてしまいます。ある時は活性化し、またある時は、鎮静化させます。リズムのもつこうした正反対の効果は、年齢を超えて共通に見られます。
こうしたリズムの特徴は、異なった共同体や文化の間でも互いをつなぐ強い力になっています。初めて接する異文化のリズムであっても、それがリズムだということは誰もがただちに感じ取ることができます。リズムはまた、人間の感覚器官の違いをも超えていて、五感のすべてを通じて享受することができます。耳は耳のリズムを聴き、目は点や線、あるいは色彩の対比の間にリズムを感じ取ります。皮膚も触覚のリズミカルな刺激を感じわけるし、心臓の鼓動のように、いわば内臓の触覚が直接に受容するリズムもあります。何よりも全身の筋肉と骨格は、リズムに敏感で、そのおかげで人間は、多くの日常生活をリズミカルに行うことができるのです。
このことを裏返していえば、リズムを受け取る特定の感覚器官あるいは感性はどこにも存在しないということになります。よく知られているように、言語(活動)は人間のみが特異的に発達させることができたものですが、それを行うための特定の器官をもちあわせていません。口腔内外のさまざまな筋肉と骨格を巧みに作動させることで、ことばを話します。リズムも同じように考えることができます。身体全体で感受し、身体全体で発信する。あえて言えば、リズムこそが身体であり、身体はリズムのメディウムそのものなのです。
存在の絶えざる更新とその回帰
「響き合いの世界」の最終回は、このリズムのメディウムについて考察します。
まず、作曲家で音楽評論家の近藤譲氏にお話を伺います。時間芸術の一つである音楽において、リズムは本質的な意味をもっているにもかかわらず、これまでのリズムにかんする議論には混乱がみられたといいます。一般的な意味でのリズムと音楽固有のリズムを無自覚に混同することにその原因があるとの指摘です。リズムに内在する二種のリズムを明確にしたうえでリズムと向き合うことが肝要だと、近藤氏は説きます。リズムともっとも親和性のある音楽との関係について解き明かします。
次に、大東文化大学名誉教授の樋口桂子氏にリズムと日本文化のかかわりについてうかがいます。ヨーロッパの人たちが動きからリズムを捉えるのに対し、日本人は静かで安定したものとして捉えようとします。つきつめればそれは「わたり」のなかにあるといいます。響き渡る、冴えわたる「気配」としてのリズム。身体に沈潜する日本人のリズム感を探ります。
最後は、立教大学文学部教育学科教授の河野哲也氏にリズムと生態学的知についてうかがいます。自然のなかには、純粋な反復過程はありません。自然は、常に新しいものを繰り返し産出します。その産出されたものの一部が類似していることで反復しているように見えてしまうのです。同一性とは、その意味で思考の人工的な産物です。リズムが生じるためには、見えない自然、生命内実が不可欠で、その後に類似のものが再帰するのです。リズムとは、単なる同一性の反復ではなく、存在の更新とその回帰のことなのです。(佐藤真)
(1)東屋雅美編『愛がなければ人生はない』(スイッチ・パブリッシング 2000)
(2)山崎正和『リズムの哲学ノート』(中央公論新社 2018)
◎音楽、耳、ドラマトゥルギー
ものがたり西洋音楽史 近藤譲 岩波ジュニア新書 2019
数学と科学から読む音楽 西原稔、安生健 ヤマハミュージックエンターテインメントホールディングスミュージックメディア部 2020
音楽を考える人のための基本文献34 椎名亮輔編著 アルテスパブリッシング 2017
線の音楽 近藤譲 アルテスパブリッシング 2014(朝日出版社 1979)
聴く人(homo audiens)―― 音楽の解釈をめぐって 近藤譲 アルテスパブリッシング 2013
作曲の思想 音楽・知のメモリア 小鍛冶邦隆 アルテスパブリッシング 2010
音の海 エーテルトーク、アンビエント・サウンド、イマジナリー・ワールド D・トゥープ 佐々木直子訳 水声社 2008
音楽という謎 近藤譲 春秋社 2004
音楽と筆舌に尽くせないもの V・ジャンケレヴィッチ 中澤紀雄訳 国文社 1995
眼と耳 見えるものと聞こえるものの現象学 M・デュフレンヌ 桟優訳 みすず書房 1995
現代音楽のパサージュ 20・5世紀の音楽 増補版 松平頼暁 青土社 1995
実験音楽 ケージとその後 M・ナイマン 椎名亮輔訳 水声社 1992
耳の思考:現代音楽の意味場 近藤譲 青土社 1985
人間の音楽性 J・ブラッキング 徳丸吉彦訳 岩波書店 1978
雑誌エピステーメー11月号 特集音の生理 音楽の現在 朝日出版社 1978
雑誌エピステーメー8・9月号 特集音・音楽 朝日出版社 1976
◎拍、タイミング、テンポ
リズム 美しい演奏をデザインする 藤原義章 春秋社 2022
リズムの本質 新装版 R・クラーゲス 杉浦実訳 みすず書房 2022
交わらないリズム 出会いとすれ違いの現象学 村上靖彦 青土社 2021
おしゃべりと嘘 「かたり」をめぐる文化論 樋口桂子 青土社 2020
リズムの哲学ノート 山崎正和 中央公論新社 2018
リズム(身体感覚)からの逃走 音楽の現象学的・歴史社会学的研究 寺前典子 晃洋書房 2018
日本人とリズム感 「拍」をめぐる日本文化論 樋口桂子 青土社 2017
ジゼール・ブルレ研究 音楽的時間・身体・リズム 山下尚一 ナカニシヤ出版 2011
音楽のリズム構造:新訳 G・W・クーパー、L・B・マイヤー 徳丸吉彦、北川純子訳 音楽之友社 2009
トリシャ・ブラウン 思考というモーション T・ブラウン、S・パクストン他 木下哲夫他訳 岡崎乾二郎監修 ときの忘れもの 2006
メトニミーの近代 樋口桂子 三元社 2005
響きの生態系 ディープ・リスニングのために 藤枝守 フィルムアート社 2000
「リズムの構造」(中井正一全集 2 転換期の美学的課題 新装版 久野収編 所収)美術出版社 1981
リズムとテンポ C・ザックス 岸辺成雄訳 音楽之友社 1979
◎身体、生命、海
間合い 生態学的現象学の探究 河野哲也 東京大学出版会 2022
リズムの生物学 柳澤桂子 講談社学術文庫 2022
メタモルフォーゼの哲学 E・コッチャ 松葉類、宇佐美達朗訳 勁草書房 2022
植物の生の哲学:混合の形而上学 E・コッチャ 嶋崎正樹訳 山内志朗解説 勁草書房 2019
カラダと生命 超時代ダンス論 笠井叡 書肆山田 2016
土方巽全集 新装版 I II 種村季弘他編 河出書房新社 2016
境界の現象学 始原の海から液体の存在論へ 河野哲也 筑摩選書 2014
生命とリズム 三木成夫 河出文庫 2013
意識は実在しない 心・知覚・自由 河野哲也 講談社選書メチェ 2011
生態学的知覚システム 感性をとらえなおす J・J・ギブソン 佐々木正人、古山宣洋他訳 東京大学出版会 2011
〈心〉はからだの外にある 「エコロジカルな私」の哲学 河野哲也 NHKブックス 2006
梶井照陰写真集 NAMI 写真:梶井照陰 編集:奈良美智、竹井正和 リトルモア 2004
原初生命体としての人間 野口体操の理論 野口三千三 岩波現代文庫 2003
アフォーダンスの心理学 生態心理学への道 E・S・リード 細田直哉訳 佐々木正人監修 新曜社 2000
コンタクト・インプロヴィゼーション 交感する身体 S・J・ノヴァック 立木燁子、菊池淳子訳 フィルムアート社 2000
海の記憶を求めて J・マイヨール、P・マイヨール 北澤真木訳 翔泳社 1998
イルカと、海へ還る日 J・マイヨール 関邦博訳 講談社 1993
海・呼吸・古代形象 生命記憶と回想 三木成夫 うぶすな書院 1992
生命形態学序説 根原形象とメタモルフォーゼ 三木成夫 うぶすな書房 1992
かたちのオディッセイ エイドス・モルフェー・リズム 中村雄二郎 岩波書店 1991