感情をつくる脳……自由エネルギー原理と感情生成

乾敏郎

いぬい・としお
1950年大阪府生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科(生物工学専攻)修了後、京都大学大学院教授などを経て、現在、追手門学院大学心理学部教授、京都大学名誉教授。文学博士(京都大学)。専門は言語・非言語コミュニケーション機能の認知神経科学的研究。著書に『感情とはそもそも何なのか 現代科学で読み解く感情のしくみと障害』ミネルヴァ書房、2018、『脳科学からみる子どもの心の育ち 子育てと教育へのアドバイス』ミネルヴァ書房、2013、『イメージ脳』岩波書店、2009年、他がある。
こうした自分の身体の状態をよく理解することが「自己(self)」を形成し、
また健全な精神状態保つためにも重要なことだと考えられますが、
これは自分の身体を構成する臓器から出力される神経反応を、
自分の脳が正しく理解している状態だということができるでしょう。
感情は、この自律神経の反応を脳が理解することと、その反応が生じた原因を、
やはり自分の脳が無意識のなかで推論するという、二つの要因で決定されると考えられます。

身体を通して感情を整える……身体知性という発想

佐藤友亮

さとう・ゆうすけ
1971年岩手県生まれ。岩手医科大学医学部卒業。大阪大学大学院医学系研究科修了。現在、神戸松蔭女子学院大学准教授、合気道凱風館塾頭(会員代表)。専門は血液学の臨床と研究。著書に『身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり』朝日新聞出版、2017、共著書に『東日本大震災と私たち』冬弓社、2014、他がある。
神経生理学者のA・ダマシオのソマティック・マーカー仮説からは、
「身体を丁寧に扱うことが、社会的判断能力を高め、それが生活の充実につながる」という
考えを導き出すことができます。
情報を適切に入力することができる身体をもち、その結果として感情が適切に形成されれば、
合理的判断を行うことができる可能性が高くなるというわけです。
ここでの身体の働きを、私は「身体知性」と呼んだのです。

身体性と感情公共性……脱感情資本主義の実践へ

岡原正幸

おかはら・まさゆき
1957年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部、ミュンヘン大学演劇学専攻を経て、慶應義塾大学社会学研究博士課程修了。現在、慶應義塾大学文学部教授。専門は感情社会学、障害学、パフォーマティブ社会学。主な著書に『感情を生きる パフォーマティブ社会学へ』慶應義塾大学三田哲学会、2014、『感情資本主義に生まれて 感情と身体の新たな地平を模索する』慶應義塾大学教養研究センター、2013、『黒板とワイン~もうひとつの学びの場「三田の家」』慶應義塾大学出版会、2010、『ホモ・アフェクトス』世界思想社、1998、他がある。
社会学における議論は、今を生きるさまざまな人たちのいろんな感情や体験、
知識を公共の場に出して、それを吟味したり話し合う、というものであり、
その意味では、たった一つの真理を追究する行為であるよりも、
相反する矛盾や理解できないことを共有しつつ超えていこうとする、
アートのようなスタンスに近いのではないかと思います。

身体、感情、意思決定のループ
生きているがままの身体

 一九七五年、一冊の書物が上梓されました。『精神としての身体』。いささかも衒(てら)いのないそのタイトルの下には、著者である市川浩という名前が刻まれています。当時、明治大学商学部教授だった市川浩氏の初めての著書でしたが、書店に並ぶやいなや大きな反響を呼び、同年哲学奨励山崎賞を受賞しました。世に喧伝される身体論のブームは、まさにこの一冊から始まったといっていいでしょう。
 以来半世紀、身体論はベースである哲学を中心にさまざまな学問分野へ広がっていきました。社会学、心理学、医学、歴史学、あるいは脳科学や東洋思想、さらには食や性といったおよそ人間の生活すべてが対象領域となっていきました。当然、解釈も切り口も分野ごとに違っていますし、その記述方法もさまざまですが、その余波は現在も続いています。
 さながら百花繚乱のありさまですが、いずれの領域も問題意識、研究動機においては、ある共通点をもっていました。現実の人間の捉え方への疑問です。たとえば、近代の哲学は、不思議なことに身体を無視してきたといいます。身体にまったく触れないか、触れたとしても、できればなしにしたいもの、たえしのぶべき悪(市川浩)であるかのように、ネガティブな態度で身体を扱ってきたというのです。
 近代哲学のメインストリームは、理性的精神を聖化することによって、自己でないものとして退けられ、以後対象化された身体は、自然科学の対象になります。しかし人間の存在は、生きている身体を離れてはあり得ません。私たちが身体ということばで理解しているものは、物質代謝を始めとするさまざまな生理的作用をいとなみ、いわゆる精神によって支配されたり、抵抗したり、時に精神を悩ませたりする物質としてのそれです。もし私たちが日常生きているがままの状態で身体を捉えるなら、ここで精神と呼んでいるものとかなり近いはずです。そうであるにもかかわらず、精神と身体という二つの存在様態に、人間は分断されてしまったというわけです。


身体論のなかのデカルト
 市川浩氏は、『精神としての身体』の第1章「現象としての身体」で次のように言います。
 「物体としての身体という概念を、最もはっきりした形で提出し、それを精神と対立させたのは、
いうまでもなくデカルトである。かれは物体から一切の精神的なものを排除し、また、精神にいかなる物体的なるものをも拒否することによって、精神と物体とを峻別した。精神と物体は、神の力ぞえを別にすれば、他になにものをも必要としないという意味で、それぞれ独立の実体であり、そのうちに精神が存在しなくても働きうる機械と考えるから、身体はまさに物体に他ならない」(1)と。
 こうして、デカルトは精神と身体――すなわち物体の、二つの実体として明確に区別したというのです。世にいう心身二元論という概念は、このデカルトの考えを敷衍(ふえん)したものです。この身体の分離が近代以降の人間観にとてつもない影響を残したことは、言うまでもありません。
 ところで、興味深いことにデカルト本人は、晩年この心身二元論にわずかながら疑いをもち、少し違った見方をしていたというのです。しかも驚くべきことに、デカルトは、精神が身体に全面的に合一していることを認めていたかもしれないというのです。
 「そのような合一から生まれる独自のはたらきが、第一に、飢え、乾きなどの欲求であり、第二に、怒りや喜びのような感情、すなわち心の受動passion であり、第三に、快苦や色、香り、味などの感覚である。これらは精神のみに属するものでも、身体のみに属するものでもなく、精神と身体の緊密な結合から生ずる。私はそれらの欲求や情念を私の身体のうちに、私の身体のために、感覚したのであって、他の物体においてみとめたのではない。私は他の物体からは切りはなされても、身体からは切りはなされえないのである」(1)と。
 前半は『省察』の、後半は『哲学の原理』からの引用です。心身二元論の大元締めであるデカルトは、精神と身体を必死になって切り離そうと試みた末に、両者が分かち難く結びついている独特の構造をもっていることに気が付いてしまった。その大きなきっかけとなったものがまさしく感情だったというわけです。


生存戦略としての「情動」と「感情」
 感情と身体とのかかわりを研究しているアントニオ・ダマシオの重要なキーワードに「情動」と「感情」があります。普段私たちは、この二つのことばをほとんど同じものとして使っています。ただ、前号の『談』で、信原幸弘氏は、意識的な心の動きを感情、意識だけでなく意識に上らない無意識も含むものを情動と呼んでいます。とくに身体的な反応を強調するために、信原氏は感情より情動を使うと言いました。
 ダマシオは、「情動」と「感情」をさらにその役割に応じて分けて捉えています。その基盤となるのが、「ホメオスタシス調節」で、両者は因果的につながっているという。たとえば、私たちが何か恐ろしい光景を目にして恐れの感情を経験したとしましょう。身体が硬直して心臓がバクバクしたとすれば、これは生命調整のプロセスであり、ダマシオはそれを情動と呼ぶのです(2)。
 一方、脳には今身体がどういう状態にあるかが逐一詳細に報告されます。脳のしかるべき部分に、対応する「身体マップ」が形成されています。そしてその身体マップをもとに、ある限度を超えて身体的変化が生じたことを感じる時、私たちは「恐れの感情」を経験することになるのです(2)。
 ダマシオの「情動」と「感情」の議論でとりわけ重要なのは、その順番だといいます。普通私たちは、怖いと感じるから身体が膠着したり心臓がバクバクすると考えますが、ダマシオの考えはまったく逆で、怖いものを見て特有の身体的変化が生じるから、その後に怖さを感じる。つまり、感情は後追いでつくられるというのです(3) 。
 生物が最初に身に付けたのは「情動」で、「感情」ではありません。感情情動から生まれ、どちらも有機体の生存と深くかかわっていますが、そこで重要になってくるのが身体です。身体が存在しなければ、情動も感情も存在しなくなるからです。
 身体が受け入れた情報に基づく情動と感情  それは、経験の蓄積によって変化しますが、人間の意思決定に大きな影響を及ぼすというのが、ダマシオのソマティック・マーカー仮説です。ソマティック(somatic)とは身体のことで、簡単に言えば身体を介して生まれた「情動」と「感情」が「目印(マーカー)」となって人間の意思決定をサポートするというのです(3)。言い換えれば、人間の感情が、ソマティック・マーカーというかたちで、人間の意思決定に深く関与するというわけです。


感情をいかにコントロールするか
 ダマシオの情動・感情論、ソマティック・マーカー仮説を踏まえて、今号は、感情と身体の関わりについて考えます。
 最近感情を含む脳の多くの機能を捉えるための大統一理論が提案されました。それが「自由エネルギー原理」と呼ばれる理論です。人間や動物の脳がヘルムホルツの自由エネルギーを最小化するように働くことで、知覚、認知、注意、運動などが適切に機能しているという理論です。
 感情というものを理解するうえで、自分の身体の状態がわかるという脳機能がもっとも重要であると指摘するのは、追手門学院大学心理学部教授で言語・非言語コミュニケーション機能の認知神経科学を研究する乾敏郎氏です。あたまとからだとこころがつながっていて初めて健全な感情をもつことができると主張する乾氏に、自由エネルギー原理に準拠しながら、感情は、時々刻々と変化する身体の状態と環境(状況)の理解から生まれるという最新の感情理論についてお話しいただきます。
 結末が不確かだが、重要な判断を合理的に行うためには、身体経由の感情コントロールが大切と指摘するのは神戸松蔭女子学院大学准教授・佐藤友亮氏です。分析が不可能な問題や、結末が不確かな未来について判断を下す時に機能するのが「身体知性」です。この「身体知性」を手がかりに、身体をとおして感情を整える方法を教示していただきます。
 慶応義塾大学文学部教授・岡原正幸氏は、感情の吐露ではなく、合理的な討議でもなく、生の全体性を掬い上げ、かつそのつど見せられるメンバーの苦難を克服する社会空間を、感情公共性と名付けました。感情を公共の場に登場させること。現代の社会を感情資本主義と捉えたうえで、いかにしてその外に出るのか。身体を媒体としたパフォーマティブ社会学の実践から考察していただきます。

(佐藤真)
引用・参考文献
(1)市川浩『精神としての身体』(勁草書房 1975/講談社学術文庫 1992)
(2)アントニオ・R・ダマシオ『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』田中三彦訳(ダイヤモンド社 2005)
(3)佐藤友亮『身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり』(朝日新聞出版 2017)

◎感情への自然科学的アプローチ

感情とはそもそも何なのか 現代科学で読み解く感情のしくみと障害 乾敏郎 ミネルヴァ書房 2018
腸と脳 体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか E・メイヤー 高橋洋訳 紀伊国屋書店 2018
はらわたが煮えくりかえる 情動の身体知覚説 J・プリンツ 源河亨訳 勁草書房 2016
脳科学からみる子どもの心の育ち 認知発達のルーツを探る 乾敏郎 ミネルヴァ書房 2013
イメージ脳 乾敏郎 岩波書店 2009
認識の分析 E・マッハ 廣松渉訳 法政大学出版局 2008
認知発達と生得性 心はどこから来るのか J・L・エルマン、M・H・ジョンソン他 乾敏郎、山下博志他訳 共立出版 1998
ヘルムホルツの思想 認知心理学の源流 大村敏輔訳 ブレーン出版 1996
自然力の交互作用 ヘルムホルツ 訳注 三好助三郎 大学書林 1996
「力の保存についての物理学的論述(ヘルムホルツ)」 世界の名著65  現代の科学I  中央公論社 1973

◎身体論と感情・情動

身体知性 医師が見つけた身体と感情の深いつながり 佐藤友亮 朝日新聞出版 2017
体の知性を取り戻す 尹雄大 講談社現代新書 2014
日本武道と東洋思想 寒川恒夫 平凡社 2014
動きが心をつくる 身体心理学への招待 春木豊 講談社現代新書 2011
デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 A・R・ダマシオ 田中三彦訳 ちくま学芸文庫 2010
脳の中の身体 認知運動療法の挑戦 宮本省三 講談社現代新書 2008
私の身体は頭がいい 非中枢的身体論 内田樹 文春文庫 2007
身体の哲学 精神医学からのアプローチ 野間俊一 講談社選書メチエ 2006
感じる脳 A・R・ダマシオ 田中三彦訳 ダイヤモンド社 2005
環境に拡がる心 生態学的哲学の展望 河野哲也 勁草書房 2005
生存する脳 A・R・ダマシオ 田中三彦訳 講談社 2000
からだブックナビゲーション 身体を知るための2000冊 佐藤真 河出書房新社 1998
〈身〉の構造 身体論を超えて 市川浩 青土社 1984
精神と身体 市川浩 勁草書房 1975
目と精神 M・メルロ= ポンティ 滝浦静雄、木田元訳 みすず書房 1966

◎世界の再魔術化とアートベース社会学

言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか J・L・オースティン 飯野勝己訳 講談社学術文庫 2019
雑誌 哲学 第138集 特集 アートベース社会学へ 慶應義塾大学三田哲学会 2017
翻訳そして/あるいはパフォーマティヴ J・デリダ 豊崎光一著・訳 法政大学出版局 2016
感情を生きる パフォーマティブ社会学へ 岡原正幸編著 慶應義塾大学三田哲学会 2014
雑誌 表象04 特集 パフォーマンスの多様体 エンボディメントの思想 表象文化論学会 2010
パフォーマンスの美学 E・フィッシャー= リヒテ 中島裕昭、平田栄一朗他訳 論創社 2009
今日の世界は演劇によって再現できるか B・ブレヒト 千田是也訳 白水社 新装版 1996
パフォーマンス 未来派から現在まで R・ゴールドバーグ 中原佑介訳 リブロポート 1982

◎感情社会学・感情労働・感情資本主義

あなたの仕事、感情労働ですよね? 関谷大輝 花伝社 2016
感情資本主義に生まれて 感情と身体の新たな地平を模索する 岡原正幸編著 慶應義塾大学三田哲学会 2013
感情労働シンドローム 岸本裕紀子 PHP 新書 2012
感情労働と法 水谷英夫 信山社 2012
感情の起源 J・H・ターナー 正岡寛司訳 明石書店 2007 
ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか 感情労働の時代 武井麻子 大和書房 2006
感情社会学の展開 船津衛 北樹出版 2006
「心の時代」と自己 感情社会学の視座 崎山治男 勁草書房 2005
感情と看護 武井麻子 医学書院 2001
管理される心 感情が商品になるとき A・R・ホックシールド 石川准訳 世界思想社 2000
自己コントロールの鑑 感情マネジメント社会の現実 森真一 講談社 2000
地位と羞恥 社会的不平等の象徴的再生産 S・ネッケル 岡原正幸訳 法政大学出版局 1999
ホモ・アフェクトス 感情社会学的に自己表現する 岡原正幸 世界思想社 1998
感情の社会学 エモーション・コンシャスな時代 岡原正幸、山田昌弘他 世界思想社 1997

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