科学と市民参加…「ネオミーズ=Neo Midle Ages」を生き抜くための良きパートナーとして
神里達博
1967年生まれ。東京大学工学部卒。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。博士(工学)。科学技術庁、三菱化学生命科学研究所、東京大学工学系研究科などを経て、現在、千葉大学教授。専門は科学史、科学技術社会論。朝日新聞客員論説委員も務める。著書に『文明探偵の冒険』講談社現代新書、2015、『食品リスク』弘文堂、2005、共著に『没落する文明』集英社新書、2012、他がある
しかしハイブリッドであろうとすれば、どこかで近代の物質文明を適切に管理し、
維持することが必要となってくるでしょう。
なぜそれが必要なのかを認識することは、来るべき未来へ私たちの目を向けさせるとともに、
今現在の科学技術のあり方を問い直す第一歩となるに違いないと考えています。
職業としての科学者…その歴史から見る現代
隠岐さや香
1975年東京都生まれ。東京大学教養学部卒業後、同大学院総合文化研究科を経てパリ社会科学高等研究院(EHESS) D.E.A. 取得。同研究院博士課程の後東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(学術)。現在、広島大学大学院総合科学研究科准教授。専門は科学技術史。著書に『科学アカデミーと「有用な科学」——フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ』名古屋大学出版会、2011(サントリー学芸賞受賞)、共著に『科学の真理は永遠に不変なのだろうか』ベレ出版、2013、『合理性の考古学:フランスの科学思想史』金森修編 、東京大学出版会、2012他がある。
評価し合う共同体が成り立っている状態を最初の段階とすれば、それによって生計を立てたり、
ある程度の規模の事業に対して資本を引っ張ってこられるような社会的地位がある段階が次にくる。
これがパリ王立科学アカデミーに相当する段階だと思います。
そして最後に専門教育の段階がきて、これはドイツで完成され、
ここから理系という意識が成立してくると考えられます。
科学のシニシズムに抗して…エピステモロジーの挑戦
近藤和敬
1979年福井県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。大阪大学博士(人間科学)。現在、鹿児島大学学術研究院法文教育学域法文学系准教授。専門は、フランス哲学、ジャン・カヴァイエス研究。著書に『数学的経験の哲学 エピステモロジーの冒険』青土社、2013、『構造と生成I カヴァイエス研究』月曜社、2011、『エピステモロジー 20世紀の科学思想史』(共著)慶応義塾大学出版会、2013、他がある。
証明手続きを暗記することではなく、その背後にある「問題」を理解することであり、
それが「いかに提起されたのか」、そして「いかに解かれたのか」
あるいは「どのような条件のもとで解くことができるのか」ということを理解することです。
そして「問題」は常に「知」と「非-知」の境界そのものであり、
「知」がまさに歴史的現実的なものである限り、
解かれていない「問題」もまた歴史的にのみ提起可能だということになります。
科学のなかを覗く
科学は危機なのか
小保方晴子氏をユニット・リーダーとするグループが「STAP細胞」の発見を公表したのは、ちょうど2年前、2014年の一月末でした。マスメディアはこぞって「ノーベル賞級の業績」と騒ぎ立て、また「リケジョ」、「かっぽう着」、「ムーミン」という独特のアイコンとあいまって、一時ではありましたが、若き女性研究者がつくり出したといわれる新型万能細胞の話題で日本中が沸き返りました。生命科学という特殊な分野における発見にもかかわらず、一般社会への浸透力はすさまじく、病理専門医で科学・技術政策ウォッチャーの榎木英介氏は当時を振り返り、後々まで小学生が口々に「STAP細胞はありま~す!」と叫ぶ姿に唖然としたと述べています(1)。
しかし、それ以上にその後の展開も唖然とするものでした。わずか2カ月足らずで研究不正が発覚し、あれよあれよという間に、「STAP細胞」は小保方氏共々大海の藻くずと化したのはご存知のとおりです(神戸の理化学研究所は海の上の人工島に建てられていました)。
この一連の「STAP細胞」騒動を眺めていると、あるデジャヴに襲われると述懐するのは、哲学者の野家啓一氏です。研究不正の具体的内容や弁明の仕方が、かつて野家氏が調査委員会委員長としてかかわった研究不正事件と瓜二つだったからだというのです(2)。告発の対象とされたのは生命科学の分野で学会賞を受賞したこともある若手の女性研究者。きっかけもSTAP細胞事件と同じ「2ちゃんねる」のネット情報で、彼女は「コピペの女王」と揶揄されていたそうです。しかも、疑惑の内容もSTAP細胞事件同様、画像の切り貼りと使い回しで、実験ノートに関しては、メモ程度の書き込みだけ。また、そのチェックや対照実験に関してもずさんきわまりないものだったといいます。この調査に携わり、共著者の論文なども調べた印象では、これは氷山の一角であり、生命科学の若手研究者の間には画像の「切り貼り」や「使い回し(流用)」が日常化しているのではないか(隠語で「データを撫でる」と呼ぶらしい)、という疑念が残ったというのです。しかも、今回の件で理研の調査委員長を務めた石井俊輔氏も、自分の論文に画像の「切り貼り」があったことを認め委員長を辞任したことは、問題の広がりと根深さを物語っていると述べています。
ただ、この事件を「小保方問題」、「理研問題」として捉えるだけでは、研究不正が多発する状況は変わらないだろうと指摘するのは榎木氏です。じつは、この10年程に限っても、東京大学、大阪大学などで研究不正事件はいくつも発生していたというのです。なかでも、2012年、東邦大学医学部の麻酔科医が172本もの論文に不正を行ったことはまだ記憶に新しく、また、ノバルテイスファーマの高血圧治療薬「ディオパン」をめぐるデータねつ造事件では、ついに逮捕者まで出しました。榎木氏は、誤解を恐れずに言えばと前置きしたうえで、「STAP細胞の事件は、〈たかが〉二本の論文ねつ造であり、論文発表後わずか数日で疑義が呈され、健康被害など確認されていないことから、量や質において他の事件を上回る点は少ない」(1)と皮肉まじりに述べています。
日本分子生物学会が大学院も含めた1,022人の学会員にアンケート調査を行ったところ、所属する研究室内で、実際に研究不正を目撃、経験したことがあると10.1%が回答、また、6.1%が「所属する研究所内で噂があった」と答え、さらに、「近傍の研究所内からそのような噂を聞いた」が32.3%にも達したといいます(1)。予想以上に研究不正が広がっている現状がうかがえると榎木氏は言います。野家氏も指摘したように、小保方事件は、いわば氷山の一角でしかないということなのかもしれません。しかし、「切り貼り」や「使い回し(流用)」が一カ所程度に留まる限り、単なるケアレス・ミスによる「取り違い」なのか、意図的な研究不正かは判別が極めて難しいというのも事実です。事実、ミステイク、つまり誤りであれば、科学にはつきものであろうし、反証が出れば修正すればいいことでもあります。ひょっとしたら解釈上の意見の相違ということも考えられ、そうであれば、科学の内部で正しいか間違いかを議論すればいいという意見もあります。
一方、ミステイクに対してコンダクトはまったく意味が異なり、今、問題となっているのはコンダクト、つまり、研究倫理的な意味での不正の方だと言うのは、医療社会学者で脳生理学が専門の美馬達哉氏です。科学者が事実に反することや誤ったことを報告した場合に、言い表す用語を二つに分けることで――すなわち、ミステイクかコンダクトか――科学のなかでの信頼性が担保される構造になっているのが科学の特徴だというのです(3)。ただ、よく考えればこの分け方もそれほど厳密ではなく、科学史的に見る限り、どちらにもとれるものはけっこう多いらしい。よく知られた話では、プトレマイオスの天文学が200年前の別人の観測を盗用して成立したものだったとか、ニュートンは『プリンキピア』の版を重ねるごとに当時の最新のデータに合わせて数式を書き直していたという話もあります。有名なメンデルの遺伝の法則は、現実にはあり得ない正確なデータがとられていて、メンデルかもしくは使用人が不正をしたのではないかという噂は絶えません。つまり、科学的不正と科学とは切っても切れない腐れ縁のようなもの、というのが美馬氏の見解です。
ただし、美馬氏はこの発言の後で次のように続けます。「大きな流れで言えば、科学史的不正の歴史はずっと昔から科学の始まりと同時にあったのですが、70年代に大きな事件がたくさん出始めて社会問題化しました」(3)。その結果、アメリカでは1985年に連邦政府が資金を出す研究については管理を厳しくするという健康研究拡張法ができます。この法律がきっかけとなって、80年代後半に研究不正を監視する仕組みがつくられ、一九九二年の研究公正局(Office of Research Integrity)という規制当局の設置へとつながります。
科学的不正が政府によって法的な規制の対象になるということは、研究規制が科学の内部に踏み込んだことを意味します。それは、80年代になって科学の置かれている状況が大きく変化したことをも示しています。その変化とはどういうものかというと、大学への市場の影響が深化し、「アカデミック・キャピタリズム」が出現したことだと美馬氏は言います。つまり、先進諸国での大学の位置付けが変化したこと、このことが研究不正の社会問題化の背景にはあるというのです。
研究不正は、研究者個人の資質の問題という側面はあるものの、それ以上にシステムとしての変化が大きく影響しているというのです。すなわち、大学を中心とする知識生産体制のプレカリアート(非正規雇用)化・非常勤化が進んだ結果であるというわけです。
進行する科学の「ファスト・サイエンス」化
STAP細胞事件が私たちに突き付けたのは、何よりも「科学者の倫理」であったことは、言うまでもありません。では、「科学者の倫理」とはどういうものを言うのでしょうか。それが、一科学者の職業倫理を指すのであれば、その不正を働いた科学者の資質を問えば済むことです。しかし、科学者の職業倫理が問われ始めたのは比較的新しいことで、せいぜいここ150年程のことだといわれています。そもそも科学研究で飯が食えるようになったのは、ようやく19世紀も半ばのことで、それまで科学者なるものは、存在しなかったというのです。こう言うと意外に思われるかもしれませんが、たとえば、ガリレオにしてもニュートンにしても、自然哲学者であり実験哲学者であって、科学者ではなかった。なぜならば、「科学者(scientist)」という言葉が英語に登場するのは1830年前後で、ニュートンの死後100年以上も経ってからのことです。
「Scientistという言葉を造語したのはウィリアム・ヒューエル」で、彼が「このように述べた背景には、科学が〈職業〉として成り立つにつれて研究領域が〈専門分化〉を遂げ、それぞれの分野ごとに地質学会、天文学会、化学会などの専門学会が職能集団として形成されつつあったという事情」がありました。まさに、「科学の研究者を一般的に記述する名前」が何よりも必要とされたわけです(2)。
ところが、20世紀も後半になると、科学研究のあり方が大きく変わります。「アカデミズム科学」から「産業化科学」へと大きく転換し始めたというのです(ジェローム・ラヴェッツ『科学知識とその社会的諸問題』)。言い換えれば、科学研究そのものが巨大化し、政府や企業からの資金調達がなければやっていけなくなったのです。アカデミズム科学の典型は、アインシュタインやキュリー夫人です。彼/彼女らの研究は、個人的好奇心にもとづき、必要経費も紙と鉛筆あるいは物置小屋を改造した実験室の費用ぐらい。研究成果の公表は、単著が主で、あくまでも個人の責任において行われていました。
それに対して、20世紀後半の「産業化科学」においては、研究の動機も規模もまったく異なるものになったと野家氏は指摘します。「研究の動機そのものが〈好奇心駆動型〉の個人研究から〈プロジェクト達成型〉の共同研究へと大きく転換」します。科学者の関心も、「研究費を調達しやすい時流に乗った研究テーマ」で、たとえば「ライフサイエンス分野」「情報通信分野」「環境分野」「ナノテクノロジー・材料分野」の科学研究費補助金の重点四分野に集中し、「優れた科学者ほど共同研究プロジェクトのマネジメント(資金配分、人事管理、アウトリーチ活動など)に忙殺され、科学企業家(scientific entrepreneur)の役割を果たさざるをえなくなる」というわけです。
それと並行して、理工系の研究論文では「オーサーシップの衰退」とでも呼ぶべき事態が進行しているといわれます。どういうことかというと、研究成果の公表が、いわゆる単著論文ではなく共著論文でなされるにつれ、共著者の数はうなぎのぼりに増大し、トップクォークやヒッグス粒子の発見など物理学の最先端の論文では、じつに共著者が数百人や千人単位に達することも珍しくないといいます。「STAP細胞」論文の場合は、全体を見渡して責任をとれる著者が存在しなかったことが大きな問題になりました。
要するに、論文執筆にかかわる自覚と自己責任があいまいになっていて、それは、先程から指摘している研究不正の蔓延と表裏一体の事柄だと、野家氏は指摘します。であれば、こういうことです。「STAP細胞」事件は、もはや単なる個人倫理の問題に留まるものではなく、現代の科学研究システムに内在する構造的問題だということになります。
構造的問題という点では、お金の問題も重要です。というか、むしろこちらの問題の方が影響力という点では、ずっと大きいことかもしれません。一つのメルクマールとなったのはアメリカで1980年に成立したバイ・ドール法(the Bayh-Dole Act 特許商標法修正条項)です。簡単に言うと、これは、連邦政府の公的資金による研究成果であっても、研究者個人や大学がその成果で特許をとることを認めた法律です。すなわち、知識が特許の対象となり、その知的所有権で囲い込んで利潤が生まれるという仕組みです。アメリカを中心に一気に広がり、1999年には日本版バイ・ドール法(大学等技術移転促進法)が成立しています。
1970年代にヘイフリックという有名な発生学の研究者が別の大学に移動する際に研究していた細胞を持ち出して、連邦政府資産を私物化したと窃盗の容疑に問われたことがありました。その頃は、税金で得た研究成果を私有化して金儲けを企てるなどは言語道断、そういう規範がまだ生きていました。ところが、1980年代以降になるとまったく逆転し、「業績のあるバイオテクノロジーの研究者であれば、特許の一つや二つはもっていて、どこかのベンチャー企業の経営にかかわっている方があたりまえ」と指摘する科学者もいますが、野家氏が言うように、これまで封印されてきた「アカデミック・キャピタリズム」というパンドラの箱がついに開けられたと見るべきでしょう。
「アカデミック・キャピタリズム」が産学連携の道を拓き、研究活動に競争の原理をもちこみ、研究そのものを活性化させた意義は否めません。けれども、それが科学界に投げかけた最大の問題は、これまで一貫して保たれてきた科学知識の「公開性」と「公有性」が、特許や知的財産権を盾に等閑視され、特定の研究者に「私有化」されるに至ったことではないか。実際、学位論文は公表を法律で義務づけられているにもかかわらず、一部ないし極端な場合は全部が非公開扱いになっている場合が、とくに工学系の分野では目立つと野家氏も懸念しています。いわば、研究成果の「企業秘密化」であり、研究室・実験室と市場が特許とベンチャー企業を媒介にして、シームレスな関係になったことを示しているといえます。「いまや科学界を席巻しているのは、有用性・効率性・市場価値を旗印に、熾烈な競争的環境に身を置く科学の〈ファスト・サイエンス〉化」ではないかと野家氏は危惧します。
知を根絶やしにする「ファンド主義」
現代の科学の問題点として、野家氏はもう一つ若手研究者の置かれている窮状を挙げています。「アカデミック・キャピタリズム」が進行するなか、研究機関のブラック企業化が明らかになりつつあるというのです。野家氏があえてブラック企業化と呼ぶのは、昨今問題視されるブラック企業の実態をまさにトレースするような状況が、科学の内部で発生しているからに他なりません。そうした状況が生み出された背景には、大学設置基準の大綱化(教養部の廃止)、大学院重点化(大学院生の量的拡大)、そして何よりも国立大学法人化といった規制緩和策があったというのです。そして、その帰結として、大学の予算及び人事制度は、「ポスト主義」から「ファンド主義」へと大きく舵を切ることになったと野家氏は分析します。
法人化によって大学は、運営費交付金が削減されると共に競争的資金(=外部ファンド)の導入が至上命題となり、獲得したファンドをどのようなポストに配分するかは各大学の裁量にまかされることになったのです。「いわば、そのとばっちりをまともに受けているのが、現在の若手研究者」に他ならず、「端的に言えば、若手研究者の非正規化と大学・研究機関のブラック企業化(2)だというわけです。ファンドによって雇用されるポストは「任期制」であり、任期内にテニュア(終身在職権)を獲得できなければ、次の任期制ポストへの応募を繰り返す。そういう状態に若手研究者は追い込まれているというのです。要するに、若手研究者の雇用身分が著しく不安定なものになっているというわけです。
2年前に起こった「STAP細胞」騒動は、一科学者の起こした研究不正事件として記憶されましたが、じつは、その背景にあるのは、今日の科学が社会問題化しつつある現実です。「STAP細胞」騒動を手がかりに、野家啓一氏の言説をたどりながら、大づかみに今日の科学の実態を素描してみました。今、科学を問う意味は何なのか。科学が危機的状況にあるとしたら、どこに問題の本質があるのか。今号では、今日の科学が置かれている状況、さらには科学の内部に入り込み、科学そのものの内実に迫ります。
リスクを手がかりに
「リスク社会」という言葉があります。ヨーロッパは、近代化によって生産を中心とする産業社会を生み出しました。産業社会は、大量にものをつくりそれを分配する社会ですが、やがて、ものがいきわたり、飽和状態になる。そうなると、もうものはたくさん欲しくないと思うようになります。そして、人々は、むしろものを欲しいと思うよりも、ものを失うことを恐れるようになります。さらには、もの以外のものに関心が移っていく。たとえば、健康はまさにその代表です。人々はものへの関心よりも健康であり続けることに執着するようになる。社会学者のウルリヒ・ベックはそうした社会を「リスク社会」と名付けたのです(4)。
豊かな社会の実現と引き換えに失うもの、あるいはものを欲することが逆にもの以外のものにこころが奪われること。つまり、社会が豊かになればなるほどリスクは増大する。まさにリスクとは、その意味で近代化が進行する過程で生まれる典型的なジレンマだといえるでしょう。言い換えれば、リスクとは近代化の副産物に他なりません。
「リスク社会」を切り口に、リスクと社会の関係を科学技術の発達と関連付けながら研究しているのが、千葉大学教授で科学技術社会論が専門の神里達博氏です。神里氏は、リスクとは未来が不確実であり、そのことにどう対処していくかという課題が契機となって生まれた概念と捉えています。近代以前は、そうした不確実性の処理は、神に委ねられていました。しかし、近代社会になると、未来は不確かなものから確かなものへ、コントロール不能なものから可能なものへと変わり、その駆動因となっているのがまさしく科学技術です。つまり、未来の可能性を拡大するのが科学技術の発達で、それは同時にリスクを増大させていくことにもなる。
科学を科学するにあたって、まず、科学技術の置かれている状況について、リスクを手がかりに考察します。科学技術の発達が築きあげた客観的な物質文明と現代の情報を基盤とする主観的な文明のハイブリッド化がもたらす新たな時代相(ネクストフェイズ)について神里氏に予見していただきます。
科学者とは誰か
広島大学大学院総合科学研究科准教授で科学技術史が専門の隠岐さや香氏は、科学と社会のあり方をテーマに、18世紀フランスの科学アカデミーの歴史を通して科学の有用性について研究を続けています。「有用性」とは、18世紀フランスの文脈で見る限り、古代ギリシア・ローマの修辞学的な伝統を背負った概念であり、とくに、公共(le public)のために「有用」(utile)であるといった場合、それは「公共善(bien public)」を追求するという高度に精神的な価値の次元を含んだ振る舞いを意味したといいます。したがって、科学と技芸がいかにして公共のため「有用」であり得るかを論じることは、高度に倫理的な「知とはいかにあるべきか」を述べるに等しい意味合いを有していたというのです。
一方、科学が社会のなかでどのような位置づけを与えられてきたかという問題関心から、隠岐氏は、科学者という職業にも着目します。今日、科学者が果たす役割は大きく、その存在が重要であることは言うまでもありません。しかし、一九世紀より前には、科学者なるものは存在しませんでした。野家啓一氏も指摘するように、科学者という言葉が登場するのは、ようやく19世紀の前半です。コペルニクスは聖職者、医師、法律家を兼業し、天文学者ケプラーは占星術師として生計を立てていました。科学の専門機関などない時代に、彼らは、アカデミーの会員になることが研究を続ける唯一の道だったのです。
今では自明なものとしてある科学者。科学者はいかに構想され、制度的な位置を与えられたのか。科学者とは、そもそもいかなる存在なのか。そして、いつから社会に登場してきたのか。現代にまで引き継がれる科学と社会の関係について、科学者の誕生という補助線を頼りに隠岐氏に解き明かしていただきます。
科学の内部観測
科学の歴史的な生成過程を分析し、科学の方法論とその背後にある思想的な広がりを明るみに出そうとする知的営みがエピステモロジーです。今日では、やや忘れられた感のあるエピステモロジーですが、フランス革命を経験し、実証科学を中心とした知の啓蒙運動を積極的に展開してきたフランスにおいて、19世紀の初頭以来、哲学のなかで一つの中心的な役割を担ってきたのが、他ならぬエピステモロジーでした。エピステモロジーの貢献者としては、G・バシュラール、J・カヴァイエス、G・カンギレム、L・アルチュセール、M・フーコーらが日本でもよく知られています。彼らの関心分野は、自然科学、数学、生物学、経済学、歴史学と多岐にわたりますが、生成途上の科学について、とくにその歴史的な考察を主題とするという点では共通した特徴をもっているといえます(5)。エピステモロジーは、その由来から知の革命と切り離し難く結びついていたこともあって、完成した知を目指すドイツ観念論的傾向を強くもつ科学哲学とは対照的に、「それぞれの時代でいまだ生成途上にある科学について積極的に扱い、科学的世界(と同時に哲学的世界)の価値転換を推しすすめようとしてきた」(5)というのです。
冒頭言ったように、科学はますますテクノクラート化を推し進め、産官学連携の旗印のもとで市場原理に従順で国家管理の役に立つことがその絶対条件として求められるようになってしまった。自然科学の内部においても近代的な知の枠組みの不十分さが露呈されます。そうしたなかで、人間と自然と真理のあいだに受け入れられてきた関係を一から問い直し、新たな知の枠組みを構築し直すことが求められます。このような問題状況に対して、科学の内部に分け入り、そこで機能している知の動的な働きを分析し抽出しようとするのがエピステモロジーです。
科学が科学であることにより逆説的に陥ってしまった現実に対して、あえて科学をぶつけてみること。最後におたずねするのは、鹿児島大学学術研究院法文教育学域法文学系准教授でフランス哲学が専門の近藤和敬氏です。私たちは、科学の内部に入り込み、科学の内部から、内部環境としての科学を眺め(=科学)ます。
1 榎木英介「「小保方」事件を超えて 「STAP細胞」があぶりだす科学の歪んだ構造」(雑誌『現代思想』8月号、青土社、2014)
2 野家啓一「既視感(déjàvu)の行方」(雑誌『現代思想』8月号、青土社、2014)
3〈対談〉塚原東吾+美馬達哉「ポスト・ノーマル時代の科学者の仕事」(雑誌『現代思想』8月号、青土社、2014)
4 神里達博「リスクと向き合う―フレーミングと自由―」(『TASC MONTHLY』No.474 公益財団法人たばこ総合研究センター、2015)
5 近藤和敬『「カヴァイエスの問題論的観点からみた科学的構造の生成 来るべきエピステモロジーのために」(雑誌『VOL』05「特集エピステモロジー 知の未来のために」以文社、2011)
◎科学と文化
科学の危機 金森修 集英社新書 2015
科学思想史の哲学 金森修 岩波書店 2015
構造と生成I カヴァイエス研究 近藤和敬 月曜社 2014
構造と生成II 論理学と学知の理論について J・カヴァイエス 近藤和敬訳 月曜社 2013
数学的経験の哲学 エピステモロジーの冒険 近藤和敬 青土社 2013
エピステモロジー 20世紀の科学思想史 金森修編著 慶応義塾大学出版会 2013
VOL 05 特集 エピステモロジー 知の未来のために VOL Collective編 以文社 2011
エピステモロジーの現在 金森修編著 慶応義塾大学出版会 2008
再生産について L・アルチュセール 西川長生、伊吹浩一他訳 平凡社ライブラリー 2005
知の考古学 M・フーコー 槙改康之訳 河出文庫 2012
科学的精神の形成 G・バシュラール 及川馥訳 平凡社ライブラリー 2012
差異と反復 上下 G・ドゥルーズ 財津理訳 河出文庫 2007
雑誌『談』no.69「特集 神を演じる科学 知と進化」 たばこ総合研究センター 2003
新しい科学的精神 G・バシュラール 関根克彦訳 ちくま学芸文庫 2002
科学が作られているとき 人類学的考察 B・ラトゥール 川崎勝、高田紀代志訳 産業図書 1999
ミシェル・フーコー思考集成〈2〉文学・言語・エピステモロジー M・フーコー 小林康夫他訳 筑摩書房 1999
エピステモロジー H・バロー 松田克進訳 文庫クセジュ 1995
フランス科学認識論の系譜 G・カンギレム、G・ダゴニエ、M・フーコー 金森修 勁草書房 1994
科学史・科学哲学研究 G・カンギレム 金森修監訳 法政大学出版会 1991
科学の J・ホーガン 竹内薫訳 徳間書店 1997
人間にとって科学とはなにか 湯川秀樹、梅沢忠夫 中央公論社 1967
◎科学と社会
文明探偵の冒険 神里達博 講談社現代新書 2015
没落する文明 萱野稔人、神里達博 集英社新書 2012
構造災 科学技術社会に潜む危機 松本三和夫 岩波新書 2012
もうダマされないための「科学」講義 菊地誠、松永和紀他 光文社新書 2011
科学は誰のものか 社会の側から問い直す 平川秀幸 NHK出版生活人新書 2010
科学技術コミュニケーション入門 科学・技術の現場と社会をつなぐ 梶雅範他編 培風館 2009
対話の場をデザインする 科学技術と社会の間をつなぐということ 八木絵香 大阪大学出版会 2009
社会の中の科学 中島秀人 放送大学教育振興会 2008
科学コミュニケーション論 藤垣裕子、廣野喜幸編 東京大学出版会 2008
はじめよう! 科学技術コミュニケーション 北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット編 ナカニシヤ出版 2008
トランス・サイエンスの時代 科学技術と社会をつなぐ 小林傳司 NTT出版 2007
アクシデント 事故と文明 P・ヴィリリオ 小林正巳訳 青土社 2006
リスクのモノサシ 中谷内一也 NHKブックス 2006
食品リスク—BSEとモダニティ 神里達博 弘文堂 2005
専門知と公共性 藤垣裕子 東京大学出版会 2003
知の失敗と社会 科学技術はなぜ社会にとって問題か 松本三和夫 岩波書店 2002
サイエンス・ウォーズ 金森修 東京大学出版会 2000
危険社会 新しい近代への道 U・ベック 東廉、伊藤美登里訳 法政大学出版局 1998
科学者とは何か 村上陽一郎 新潮社 1994
科学者は変わるか 吉岡斉 社会思想社 1984
科学のダイナミックス 村上陽一郎 サイエンス社 1980
◎科学と歴史
雑誌『現代思想』8月号 vol.42-12「特集 科学者 科学技術のポリティカルエコノミー」 青土社 2014
世界の見方の転換 1~3 山本義隆 みすず書房 2014
科学アカデミーと「有用な科学」 フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ 隠岐さや香 名古屋大学出版会 2011
科学の真理は永遠に不変なのだろうか サプライズの科学史入門 中村美知代、隠岐さや香他 ベレ出版 2009
科学の社会史 廣重徹 岩波現代文庫 2003
科学史の逆遠近法 村上陽一郎 講談社学術文庫 2002
近代科学と聖俗革命〈新版〉 村上陽一郎 新曜社 2002
思想史のなかの科学 伊東俊太郎、村上陽一郎他 平凡社ライブラリー 2002
科学の社会史 古川安 南窓社 1989
科学革命の歴史構造 上下 佐々木力 岩波書店 1985
近代科学の誕生 H・バターフィールド 渡辺正雄訳 講談社学術文庫 1978
科学革命の構造 T・クーン 中山茂訳 みすず書房 1971