「公共性」という言葉の混乱
高まる「公共性」への関心 「公共性」への関心が高まっている。実際、書店の棚を見渡してみると、「公共」あるいは「公共性」と名のつく書籍が目に付く。政治や経済だけに限らない。哲学・倫理や法学、社会学、都市工学や科学技術といった学問領域でも「公共」論は一種のブームになっている。さらには家族や生活といった身近なところで起こる問題についても「公共」を切り口にした考察や研究が目立つ。 これまでも「公共」という言葉が一種のキー概念になっていた分野があった。グローバリズムと市場メカニズムの徹底化が「市場の失敗」をまねき、政府の市場への介入が要請される。いわゆる「公共経済」といわれるもので、資源の効率的分配、供給がその目的である。また、憲法に謳われている基本的人権に制限を与える「公共の福祉」は、表現の自由やプライバシーの保護に関する調整でしばしば焦点になることがある。いずれも、特定の個人に先だって優先される便益や権利に対して「公共」という言葉が冠せられた例である。 これに類する使用例は日常のレベルにもある。「公」と「私」という使い分けだ。とくに日本社会では、「公」は、民である「私」と上下関係を形成し、多くの場合「公」である「お上」が民に「お触れ」として告知するという独特の構造をもつ。この官尊民卑の発想は徐々に改善されつつあるというが(今田高俊)、政治や行政、組織には依然としてこの対立図式が色濃く残っている。 「公共」という言葉は、このように人々の耳目をひくところだが、「公共性」という言葉になるとその流通分野は限られてくる。しかも、どちらかというと否定的なニュアンスで受け取られてきたようだ。典型的な例で言うと、「公共事業」といわれる土建屋仕事に対して、国や自治体が市民に理解を求める際に使用される言葉がまさに「公共性」であった。「公共性」はそもそもが官製用語の一つであり、その使われる範囲は自ずから限定されていたのである。 「公共性」がそうした限られた文脈から飛び出して、肯定的でしかも活発に用いられるようになったのは一九九○年代になってからである。早稲田大学政治経済学部教授・齋藤純一氏によれば、「公共性」が「肯定的な意味合いを獲得するようになったコンテクストの一つは、国家が〈公共性〉を独占する事態への批判的認識」の拡がりがあったからだという。 すでに六○年代末以降、公共事業を含む政府の「公共政策」に対して、住民運動、市民運動という形での抗議が提起されてきた。それが、九○年代初頭、バブル崩壊後に国家の財政破綻が露になると、「公共性」に対する批判的な問題意識は広く一般に共有されるようになったという(齋藤純一著『公共性』岩波書店)。他方、ボランティア団体、NPO、NGOといった市民によるアソシエーションの活動が、「市民的公共性」の生成、醸成におおいに貢献した。「公共性」は九○年代を経て国家が独占するものから、市民の側へとその圏域を拡張していったのである。 しかし、看過されてはならないのは、そうした「市民的公共性」とは明らかに異なるもう一つの「公共性」論がこの時期に台頭してきたことだ。「公共性」をナショナリズムによって定義し直そうという思潮である(前出)。出てきた時期が重なるために混同されがちだが、両者は根本的なところで異なる。齋藤氏の言葉を借りれば、前者が真の意味で「公共」であるのに対して後者は「国民共同体」のそれである。両者は全く別物である。この点については齋藤氏にインタビューで詳しく論じてもらうが、いずれにしても昨今の「公共性」への関心には、一見重なるように見えながらも、じつは相反する二つのベクトルがあることを十分に認識しておく必要があるだろう。
「公共性」概念の歴史的経緯
ところで、「公共性」という場合一般的にはヨーロッパ社会において誕生した概念を指す。簡単に歴史的経緯を辿っておこう。「公共性」概念が人口に膾炙するきっかけとして決定的な影響力をもったのが『公共性の構造転換』(一九六二年/邦訳は一九七二年)である。著者ユルゲン・ハーバーマスによれば、ヨーロッパ社会において一八世紀中頃カフェやサロンを舞台に「文芸的な公共圏」として立ち現れた。「宮廷や教会など旧来の公的・精神的権威に対抗して、また、生産や消費の必要性からも解放された空間にあって、表現の自由を標榜する全くの私人(市民)による自律的な領域」(伊東貴之)を形成した。 やがて、フランス革命に前後して、言論、出版、集会の自由を核とする市民層の要求と結び付き政治的意味合いを強く帯びるようになっていった。「公共性」は、ヨーロッパ近代に育まれた啓蒙の理念を体現するものとして強く意識されるようになったのだ。 ところが、一九世紀後半から、国家行政と経済の結び付きが強くなり、国家と社会の分離を前提とする市民的公共性の自律性は相対的に弱体化し、その危機が喧伝されるようになった。その後二○世紀後半まで状況はよりいっそう深刻化していくが、そこに登場したのがハーバーマスの著作であった。ハーバーマスは、行政・経済のシステムから相対的に自律した社会の新しい理解と公共性の理念を結合させる政治・社会理論を展開していく。「公共性」の批判的・規範的な側面を再生させようとしたのである。その中心となる概念が、「コミュニケーション的自由」と「批判的公開性」だ。絶えざる合意形成へと向かう試行錯誤の空間そのものが「公共性」であり、常に「開かれている」こと、すなわち「公開性」が「公共性」の第一の条件とされた。 ハーバーマスの「公共性」論は、その後同時代のガダマーやポスト構造主義の思想家などからの批判、またハンナ・アーレントの「公共性」論との比較検討を通して、その評価は微妙に変わっていく。とはいえ、「公共性」の規範的理解を語るうえでは、今なお十分な説得力をもっていることは言うまでもない。ハーバーマスの「公共性」概念を参照しつつ、現時点で使用されている「公共性」という言葉の意味合いを齋藤純一氏の著作から紹介しておこう。 一般に「公共性」という言葉が用いられる主要な意味は、次の三つに大別されると言う。第一に、国家に関係する公的な(official)ものという意味。第二に、特定の誰かにではなく、すべての人びとに関係する共通のもの(common)という意味。この意味での「公共性」は、共通の利益・財産、共通に妥当すべき規範、共通の関心事などを指す。第三に、誰に対しても開かれている(open)という意味。この意味での「公共性」は、誰もがアクセスすることを拒まれない空間や情報などを指す。 齋藤氏はこの三つの主要な意味が、互いに抗争する関係にあるという点に注目する。たとえば、「公共事業」に対しては、その実質的な「公共性」(publicness)を批判的に問う試みが行われている。また、国家の活動が常に「公開性」(openness)を拒もうとする強い傾向をもつこと。とくに、「共通していること」と「閉ざされていないこと」はそもそも相反する傾向をもつ言葉であり、両者は衝突せざるをえないという。 ポリスと公共性 「公共性」を問うに当たって、まず現代の都市で起こっている現実に眼を向けることから考察を始めてみたい。というのも、今述べた「公共性」の意味の抗争関係がまさしく都市で、今、実際に発生しているからである。一種の「公共性」のディレンマともいえる事態が起こっているのだ。 都市とはその出自において公共世界であったというのが一般的な見方であろう。古代ギリシアのアテネでは、都市(ポリス)は国家を表し、公論を闘わせる場所であったという。ポリスとは、共に活動し共に語り合う場所という意味で、まさしく「公共性」の空間として存在した。ところが、近代都市はそうしたポリス的要素を捨て去り、むしろ積極的に私的領域を拡大していく。他方、それは管理・制御するための行政機構の充実化を促すことになる。人々が自由に欲望を満たすためには、多少のリスクは仕方がない。いや、むしろリスクを冒してでも自由を満喫したい。そのために、「公共」はその欲望を上手にコントロールする役割を担う。そして、都市はその方向で邁進し続けたのだ。結果、蕩尽と殺戮、過剰と破壊、熱狂と退廃が渦巻く渾沌の別称として都市は語られるようになった。都市は、「公共性」を喪失した非ポリス的空間に甘んじることをよしとしたのであった。 しかし、その終焉は唐突にやってきた。二○○一年に起こった同時多発テロである。都市はこの事件をきっかけに、急速にリスク回避の方策を打ち出していく。私的領域を拡大させるだけが都市のコントロールではなく、逆にそれを抑え込むこと。成長を促進させ、開放させる方向ではなく、それを抑制し閉じる方向に一八○度舵を取り直す。都市は、いわば「リスクテイカー」からセキュリティの空間へと変貌していく。再び都市のポリス的要素に光が当てられるようになる。都市において、改めて「公共性」が課題として浮上してきたのだ。 不完全都市から過防備都市へ 「二十一世紀は不安とともに始まった。国外ではテロや戦争が相次ぎ、国内でも情勢の不安が進む。テロへの恐怖、未成年の凶悪犯罪、ピッキング、そして痛ましい学校の襲撃。日本の犯罪は七年連続で戦後最悪の記録を更新し、二○○二年は二八五万件に達している。(…)安全神話は崩壊したかのようだ」。都市は、「増加する監視カメラ、自警団の結成、要塞化する学校、そして防犯性能のマンション」を次々に生みだし、やがてそうした「セキュリティが都市の空間を変えていく」という。 中部大学工学部助教授で建築批評家の五十嵐太郎氏は、『過防備都市』(中公新書ラクレ)の冒頭でこう言って、今や日本も世界的な流れに同調してセキュリティ過剰に向かっていると指摘する。そして、「空間への意識が、監視、排除、防衛と結び付く。われわれは仮想の内戦状態に突入している。だが、セキュリティは、われわれを安心させるどころか、皮肉なことに、かえって不安を増幅させるのではないか」と危惧する。セキュリティ過剰が不安を増幅させる。不安の増幅は、セキュリティ過剰に拍車をかける。それはさらなる不安の増幅へつながり、不安の増幅は……、まさに事態はイタチごっこの様相を呈し始めている。かつて寛容さの象徴でもあったはずの都市は、反対にますます不寛容で閉じたものへと変わりつつあるのだ。今や町は悪意に満ちている。五十嵐氏が都市に対して下した結論である。 神戸大学発達科学部教授・平山洋介氏は、一九九五年一月一七日阪神・淡路大震災を経験した。その復興に関わりながら、神戸とその前後に訪れた二つの都市で起こっていることとが、不思議に共通するところが多いことに気がついたという。それを一言で表現すると「競合する空間」が出現していることだというのだ。平山氏は著書『不完全都市 神戸・ニューヨーク・ベルリン』(学芸出版社)の冒頭で、次のように記している。 「神戸は大地震に見舞われた。(…)ニューヨークは人口と資本を失い、苦境に陥っていた。グローバルに拡大する市場経済は衰弱した都市に再興の機会をもたらした。ベルリンはイデオロギーが引き裂いた異形の空間であった。再び合体した都市では多数の開発事業が進んだ」。「破壊と再建は交錯する。神戸の復興は過去の空間を再現せず、それとは異なる空間を生み出した。マンハッタンでは美麗なランドスケープが出現し、低家賃の住む場所が消失した。ベルリンの統一が招いたものは、どの記憶を救い出し、どの記憶を消し去るのか、という論点であった。何かを再建する作業は別の何かを破壊する。多くの都市が〈破壊/再建〉の錯綜を経験した」。 神戸、ニューヨーク、ベルリン、この三つの都市は、出自も条件もおかれた状況も異なる。しかし、九○年代に大規模な破壊にさらされたという共通性をもつ。そして、三都市は奇しくも破壊からの再建・再生の過程で、ある場面では反駁し、ある場面では共闘する、対立と和合の「競合する空間」を形成しているという点でも共通しているというのである。 誰が、誰のために、なんのために、何を再建するのか。こうした問題は、社会的、政治的な競合関係を誘い出し、摩擦の力学を駆動させる。その意味で、都市は常に「不完全」でしかありえない。「不完全都市」の中で、人々は競合し合う。それゆえ、都市は新たな可能性に向かって開かれていくのである。 さまざまな声が反響する空間、そうした多声に対して寛容であり続けることが都市というものの特性であると平山氏は言う。だが、「不完全」であることに終止符を打ち、あえて完全かつ純粋な空間を完成させようとする力の存在が、今、私たちの目の前に出現し始めている。寛容さを犠牲にしてまでも、都市に完全さを求めようとする力の存在に対して、平山氏はそうした振る舞いこそが都市を再び破壊することになると警鐘を鳴らす。 「セキュリティ」や「再建」という言葉と共にその特性である寛容さを捨て去ろうとする。それは、誰に対しても開かれているという意味で「公共」の場であったはずの都市を自ら否定することではないだろうか。五十嵐太郎氏と平山洋介氏に、「公共性」を切り口に、「都市は誰のものか」というテーマで話し合っていただく。 社会的分配はいかにして可能か 一人ひとりの存在はそれ自身が一つひとつの世界であり、ある他者が失われることは、自らとは異なった世界が失われることを意味する。他者の存在が失われることを惜しみ、それが可能な限り失われないようにすること。それを「私と別の存在がいることの快」と表現したのが、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授・立岩真也氏である。対談では、「公共性」の意味の一つ「共通していることと」と「閉ざされていないこと」が一つの争点になるが、立岩氏にはこの問題を他者との関わりを軸に、「社会的分配はいかにして可能か」というテーマで展開していただく。 立岩氏は、著書『自由の平等』(岩波書店)で、リベラリズムやリバタリアリズムの正義論を見きわめつつ、「自由」と「平等」という現代社会の中心的理念を再検討した。その手掛かりを、「働ける人が働き、必要な人がとる」という当たり前で単純な主張をいかにして言うことができるかというただ一点に見出し、徹底的に掘り下げた。そこから見えてきたことは、「私がつくったもの」を、「私のもの」と無理矢理に結び付けることはないという、きわめて当たり前の事実だった。「できる」と「もつ」、能力と分配をいったん切り離して考える。この考えを今日の「公共性」の議論に重ねてみると、そこに見えてくるものはやはり「公共性」の互いに抗争する関係である。別の言い方をすれば、「公共性」が「公共」それ自体の意味を剥奪する関係があるということだ。 「共同体」との違い 先程、「公共性」の議論で、公共性とは明らかに異なる「国民共同体」論が台頭してきたと述べた。齋藤純一氏は、「公共性」という言葉をいたずらな混乱の中に陥れ、それを無意味なものにしてしまわないために、共同体との違いを明らかにしておく必要があると主張する。 公共性と共同体は、ではどのように違うのか。共同体が閉じた領域をつくるのに対して、公共性は誰もがアクセスしうる空間である。また、共同体は等質な価値に満たされた空間であるのに対して、公共性は、複数の価値や意見の〈間〉に生成する空間である。さらには、共同体がなんらかのアイデンティティが制覇する空間であるのに対して、公共性は差異を条件とする言説の空間である。共同体のように一元的・排他的な帰属を求めないのである。 齋藤氏は、現在提起されている「公共性」論には、閉鎖性と同質性を求め、排除と同化を強いる「共同体」の思潮が紛れ込んでいることに注意を促す。「公共性」を人々の間を超えた次元の「国民的なもの」として位置付けるこの思潮は、経済的なナショナリズムとも親和性をもつことで、一定程度の支持を得ている。しかし、繰り返すまでもなく、「共同体」は「公共性」とは全く相容れないものである。同化/排除の機制を不可欠とする「共同体」と違って、「公共性」は、価値の複数性を条件とし、共通の仕方で関心をいだく人々の〈間〉に生成する空間である。「公共性」の意味でいえば、誰に対しても開かれているということが何よりも重要なのだ。 最後に、複数の価値、複数の意見の〈間〉に生まれる空間としての「公共性」、その可能性について齋藤純一氏にお聞きする。 (佐藤真)
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